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インドネシアでは常識の「ゴムの時間」

インドネシアには、「ジャム・カレット」という言葉がある。訳すと「ゴムの時間」となる。ゴムは伸び縮みする。そのゴムのように、時間も自在に伸び縮みするという意味で、転じて、「ルーズな時間」というような意味合いで使われる。とくに、この言葉がよく使われるのは、約束の時間に遅れたときの言いわけ。ちょっとした遅刻の場合はもちろん、何時間も遅れたような場合にも、「ジャム・カレット」という言葉が飛び出す。そんなプライベートな約束の場合だけでなく、航空機の出発時刻までが、インドネシアでは「ゴムの時間」となる。ちゃんと時刻表通りに出発することが、めったにないのだ。遅れる場合だけでなく、早く出発する場合もある。乗客がほぼそろったと思うと、ひとりやふたり、まだきていない乗客がいても、時間前でも出発してしまうのだ。そういうこととは知らない外国人旅行者などが、ぎりぎりにあわてて空港に駆け込んでくると、時間前なのに、予約していた飛行機は空の上。「乗客がそろったので、離陸した」という返事が返ってくることもある。そんなときに抗議してもムダ。アバウトなやり方があたりまえになっているので、「次の便に乗れ」といわれるだけだ。乗客の人数が少ないと、勝手に欠航にしてしまい、次の便の乗客と合わせて、乗客率を高めて飛ばすこともある。その間、乗客は待だされるわけだが、航空会社は気にしない。日本でそんなことをすれば、苦情が殺到しそうなところだが、なにごとも「ゴムの時間」のインドネシアには、スケジュール通りに動きまわっているような忙しい人はあまりいないのかもしれない。ルーズなのは、民間の航空会社だけではない。なんと、インドネシア国軍の軍事演習でさえ、「ゴムの時間」。予定の時刻に部隊がこないことなど、よくあることらしい。ここまでくれば「ゴムの時間」も、なにやらほほえましいかも。

オアフ島の生活は急速に変化

最近のハワイ、特にオアフ島の生活は急速に変化している。一言でいえば、以前の国際的観光地から、「リゾート都市」になってきた。例えば、街の文化度を測る書店にしても、ニューヨークなどにある大型店が街の中心部に開店し、ビーチで遊んだ後、気に入った写真集や現地でしか手に入らないガイドブック、あるいは話題のベストセラーなどが簡単に買えるようになった。こうした大型書店では、店内に読書用のソファやデスク、そしてカフェも置かれ、じっくりと好きな本を選べるように工夫されている。また、床には厚いカーペットも敷きつめてあり、そこに座って選ぶのもハワイらしく開放的だ。しかもCDショップも併設されているので、海辺の風景によく合うコンテンポラリーなハワイミュージックや、軽いクラシックなどを探すのもいいだろう。そして、ブックストアで本を買った後は、街中のしゃれたカフェやビーチにあるヤシの木陰で早速読書するというのもいいだろう。

歩かないという進化

500メートル先のコンビニへも車で行くウチナーンチュの私。憧れのアメリカンライフに学んだ車万能主義がはびこる子供の頃、小学校までの片道約2キロの距離を歩いて通学していた。バス通学も考えたが、小学校とは反対の方向にあるバス停留所まで約500メートルを歩くのは不合理だと思ったので、ずっと徒歩通学していた。通学路の途中には駐留米軍の住宅街があり、アメリカ人の子供達と地元の子供達とのケンカや、変質者の徘徊情報などもたまに伝わってきて、それはそれは怖い思いをしたものだ。汗だくで登校する地元小学生に対し、アメリカ人の子供達がスクール。バスで基地内の小学校に通学しているのを見て、とても不条理な気持ちになった。贅沢だと思ったし、豊かなアメリカが羨ましくもあった。しかし実情は、アメリカンスクールまでかなりの距離があったので徒歩での登校は無理だったろうし、事情のよく分からない日本という異民族から自国民を守るためという大義名分もあったのだろう。とにかく登校にはスクールバスを利用し、一家に1台以上の自家用車を所有して、便利に乗りまわしているアメリカのホームドラマそのものの現実に、沖縄県民は憧れたのだと思う。それから25年。1998年現在の沖縄県の自家用車台数は約80万台。単純計算すると、県民の約1.6人に1台の割合で自家用車が所有されている。アメリカ人の暮らしっぷりの影響を過剰なまでに受けた結果かどうかは知らないが、確実なる「車社会沖縄」が誕生したわけである。そして沖縄県民は「歩かない」という進化を遂げた。どのくらい歩かないかというと、歩いて5分の距離でも車を使う。私なんかの場合でも、家から500メートルの距離にあるコンビニへは車で行く。だって、車ならとにかく早い。荷物が大量に積める。自宅から目的地まで気軽に行けるし、時間や天気だって気にしなくていい。人通りが少ない道路でも、変態さんの出没地域でも、車に乗ってさえいれば安全だ。そしてその車万能主義みたいな意識が、「歩く」ことを「難儀(不便)」なこととして敬遠するようにさせてしまった、と私は見たね。それにしても、自分の子供を仕事帰りに小学校まで迎えに行ったとき、小学校の4軒隣の家に住む子供が「送って」と、一緒に乗り込んできたのには驚いた。歩けコノヤローとはいわなかったけど、車社会を悪い方向にカン違いしている県民も確実に増えている。